
妊娠3ヶ月に入っています。
しかし、近いうちに流産すると今日告げらました。
この宣告(?)、青天の霹靂ではありません。
可能性も信じつつも、覚悟をしなくてはいけないと思いながら、
受け取った宣告でした。
それでも、今、お腹の中に赤ちゃんはいます。
だから、疲れやすいし、つわりもあります。
しかし、小さいまま育っていません。
1週間様子を見て、薬を止めます。
「薬を止めたら自然に出てくるでしょう。
もしも出てこなければ手術が必要になります」とのこと。
今日、この日まで、
それはそれは、長い1ヶ月でした。
4度目の体外受精の判定日は1ヶ月前の10月7日。
先生は「着床はしていますね」といいました。
妊娠していると判定するHCGの値。
採血の結果、通常の妊娠よりもものすごい少ない数値を示していました。
「様子を見ましょう。もしかしたら、数値が上がるかもしれないので」
ネットで調べると、示した数値からの出産率は8%。
92%流産するという結果が出てきました。
その1週間後の検査。
万が一、上がることがあるかもしれないと言われた数値は
奇跡的にも上がっていました。
「様子を見ましょう、子宮外妊娠の可能性もありますし」と先生。
その1週間後の検査。
胎嚢(たいのう:赤ちゃんが入っている袋)が子宮内に確認できました。
「子宮外妊娠ではないですね。様子を見ましょう」と先生。
そう、様子を見るしかないのです。
92%が流産するという数値、胎嚢が確認できても、
胎芽(赤ちゃん)が確認できても、心拍が確認できても、
流産した人のブログはたくさんあります。
しかし、8%の出産した人のブログは見当たらないのです。
つわりもある、疲れやすい・・・もしかして、育っているのかも。
でも、期待しちゃいけない。
赤ちゃんのことを思って、涙したこともありました。
これも運命であり、どんな結果も受け止めようと思ったり、
とにかくこの1ヶ月、1日1日が長く感じられました。
そんな中、大好きな仕事があることが救いでした。
そして、嬉しいこともありました。
ごく微量ながらもHCGの数値が出ていていたころから、
娘(2歳9ヶ月)は、お腹の赤ちゃんと遊んでくれました。
私のお腹から取り出すしぐさをして(^^;)、
その赤ちゃんを手に握り締め、一緒に滑り台を滑ったりするのです。
「赤ちゃーん、一緒に滑り台すべるよー」っていいながら、
写真は、そのときのもの。
妊娠判定があって数日後の公園のシーソーにて。
「写真撮るよ」と携帯電話を向けると、
手のひらに赤ちゃんを乗せて、一緒に写ったのです。
一時保育での保育園から帰ってくると、
「ママー、赤ちゃんー」と呼んでくれたり、
日に日に赤ちゃんの存在が大きくなっていました。
「お姉ちゃんだから」いう言葉もよく使うようになりました。
ある日は本を読んであげたり、ある日は一緒にジャングルジムに登ったり、
みかんをむいてあげたり、昨日は一緒にでんぐり返しをしていました。
「ねぇ、赤ちゃんと会えるかな~」と不安になっている私が聞くと、
「もう会ってるじゃん」と答える娘。
「ママと赤ちゃんと、パパと○○(=自分)、4人家族だね!」と
今朝も言っていました。
そう、この1ヶ月は4人家族でした。
そして、今日の宣告。
薬を止めるであろう日までのこの1週間、どう過ごそうか?
どう過ごしたら赤ちゃんが私たちに届けようとしてくれている
メッセージを受け取れるだろうか?
この1週間には、私の40歳の誕生日があります。
成長できないであろう受精卵だったのにもかかわらず、
着床し、さらには1ヶ月私のお腹にいてくれていることの意味。
きっと今はわからないけれども、
いつかこの子が届けてくれたメッセージがわかるときが
くるんだろうな~とも思いつつ、今を大切に過ごしたいと思います。
一緒にお姉ちゃん(娘)といとこ(姪)の七五三にも行けたよね。
ママの誕生日も4人家族で過ごせそうだね。
悲しいし、寂しいし、苦しいし、切ない・・・でも、幸せです。
※いのちが宿り、育ち、生まれ、生きつづける事の奇跡。
子育てに悩んでいる人をたくさん見ています。
自分の存在について悩んでいる人もたくさんいます。
「うまれてきてくれてありがとう」
「生き続けてくれてありがとう」
そんなことも伝えていきたく、不妊治療についても公表しています。